「黄色い涙」トークイベント 2021年12月名古屋にて

なごや・ロケーション・ナビ開設20周年を記念して、2021年12月5日(日)にミッドランドスクエアシネマ2にて、「月イチトークライブ“松岡ひとみのシネマコネクション”Vol.8」として映画「黄色い涙」が上映されました。

ゲストとして犬童一心監督も登壇されたので、印象に残った話を記録に残します。

ほぼ箇条書きです…

 

メモ用のペンを忘れる失態を犯したので、終演後に携帯にメモしたところから文を作っているので、なんとなくの雰囲気だけ感じてください。

実際のお話の順番ではなく、自分の中で話題ごとに分けています。

 

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ロケ地について

なごや・ロケーション・ナビさんの20周年企画ということで、多くはロケ地の話題

 

当時の名古屋にはフィルムコミッションが無かった中、ロケーションナビさんがロケ地やスタッフさんエキストラさんの調整をしてくださった。

 

黄色い涙は1963年 東京オリンピック前の阿佐ヶ谷が舞台。

それを再現するための場所が15年前の東京や近郊には残っていなかった。

商店街を歩いていたり、引きの画でみたりしたときに昭和30年代に見えるような場所はなかなかない。

そんな中、撮影のためにスタッフさん+嵐が何日間か滞在する必要があるため、迷ったが江南で撮影することに決めた。

すごくしっかりと撮影できる場所だった。

脚本上他にも必要なシーンを江南から近いところで探すことになり、岐阜の西大垣の駅・津市の旧江戸橋などで撮影した。

 

ちゃんとやろうとしていた。ちゃんと再現しようとしていた。

たとえば、1963年の東京にはサッシの窓枠はない。コンクリートの電信柱も雰囲気に合わない。

それっぽい古い感じの場所は他にもあるが、そこをこだわりたかった監督が真面目に向き合って東京からどんどん遠ざかり江南に決まった。

当時の江南には何でもないところに画になる場所がたくさんあった。

 

七夕飾りも実際に飾っている。普段使っているものをお借りして再現した。

今ならCGで全て済むところを技術が発達しきっていない15年前は全て美術でまかなう必要があった。

そのため、オープンセットではなく、実際にあるものを飾り替えして撮影した。

装飾スタッフさんが寝られなくなっていた。

犬童監督作品の中で一番大変な作品だった。

時代劇のようにオープンセットがあるわけでもなく、作りたいこの時代に合わせてロケ地を選ぶ必要があった。

それでも本当に勝るものはない。

2~3軒は残っていても、町としてとれる場所は少ない。

 

15年前は撮影所の制作スタッフさんが日本中を旅してロケ地を探すことが多かったが、

今は各地のフィルムコミッションさんが地元で使えそうな場所の資料を持っていて推薦してくれたり、加えて脚本に必要な場所を探したりしてくれる。

江南が見つかっていなかったらどこで撮影していたのかと疑問に思うほど…

 

移動撮影など長く撮れるところ

写真のような短い時間ではなく、町全体で芝居をとれる場所

その点においても江南が最適だった。

撮影中の休憩場所や撮影期間の滞在場所などもフィルムコミッションさんがお仕事してくださった。

 

同じく、デビクロくんの空港にシーンもなごや・ロケーション・ナビさんのお仕事。

夜中借り切って撮影してなんとか朝を迎える前に終えた。

その空港のシーンだけでも観てもらいたい。

 

 

撮影前のの秘話

監督は元々黄色い涙のドラマ版が好きだった。

二宮くんで映画を撮らないか?という話があり、横浜アリーナに嵐のライブを観に行った。

5人の作品を作るつもりではなかったが、ライブを見た結果、嵐のファンになった。

二宮くんは俳優というイメージがあったけど、単純に全員凄いと思った。

二宮くんひとりだけで撮るのはもったいないという気になった。

そのため5人の映画を撮りたいということになり、学生時代から好きだった市川さんシナリオの黄色い涙になった。

市川森一さんのお名前もあり、企画が通った。

 

1974年当時のドラマは4時間くらいある。なかなか映画用の脚本が短くならずに監督が助監督の白石和彌さんとともに頑張って短くした。

 

 

一番最初の顔あわせは5人いっしょに。

1963年当時の日本についての講習会を開いた。

戦後と東京オリンピックと高度経済成長。

戦争を経験した子ども達が、ちょっとしたことで一人ひとりの運命とその後の生活が大きく変わっていた時代に生きた青年

戦争の記憶がある青年。戦争が体に残っている人々が描く芸術(漫画・歌謡曲・絵・小説)。

今の平和な時代を生きてきた若者とは全然ちがうから重ね合わせられない。

そこを理解してもらうための講習会だった。

 

そのあと主演の二宮くんだけと打ち合わせする機会があり、クリント作品に出る報告を受けた。

クリントの大ファンである犬童監督がクリントの経歴とその素晴らしさを説いた。

その後クリントのサインを二宮くんがもらってきてくれた。

「To 一心」の漢字の宛名入り。 クリントは監督にとって特別な人だからとても嬉しかった。

 

撮影中のこだわり

黄色い涙の撮影は40日程度

バラエティーの収録をずらしてもらい、撮影できた。

本人達のスケジュールがカツカツで大変だったわけではないが、監督が撮りたい画をちゃんと表現するのに時間がかかった。

撮っても撮っても撮影が終わらなかった。

とにかくライティングをこだわった。フィルム作品だから緻密に設計した。

たとえば、栄介の下宿部屋のシーン。

普通ならメインの二宮くんと居候の3人という構図になるが、4人分光の方向でライティングを変えてそれぞれを撮影した。

監督の絵コンテに従って緻密に撮られた作品になった。

 

この企画を通すために嵐5人をちゃんと撮る必要があると思った。なるべくフラットに・均等に。

トキワ荘の青春を参考にしたライティングだった。

結果として監督の中で一番大変な撮影になった。

 

お祭りのシーンの横山ホットブラザーズさんはご本人。監督がファンで出演していただくことに。

お笑い好きの二宮くんは映画の中の少しシリアスな感じとは一転、裏ではずっと夢中になっていた。

 

SHIPS・その前の路地・たばこ屋・下宿のあけぼの荘などは日活の撮影所のセット

 

 

役柄と当時の5人について

潤くんが演じた祐二は元々のドラマ版にはない役。

夢を持っていた高等遊民の芸術家4人と対比させる人を作りたかった。

堅実で地道に生きる人。本当にやりたいことではないかもしれないが目の前の出来事に向き合う人がほしかった。

でも、祐二は夢を持つ人に憧れがあったはず。明確ではない夢・希望を持っているが言語化できない。行動に移せない。そういう人がこの作品に必要だった。当時白夜の女騎士の公演中で時間が取りにくかった潤くんが祐二になった。

映画の中では祐二は大変重要な役。

ドラマの74年と映画の63年。この10年の違いを表現するのに祐二がキーポイントだった。

仕方がなく選んだ仕事を真剣に取り組んだ人。日本の戦後を支えた人の多くはこんな感じだった。

 

(質問で祐二のカツラについての話もあったけど、舞台中で髪型を昭和30年代にできなかったから、犬童監督ご自身でカツラの髪を切ったんじゃなかったっけ…

いつかのどこかのラジオで聴いた気がする…)

 

竜二の方言の話

方言で苦労したのは、監督ではなく当人たち。

方言でNGを出した感じもない。

本人達は苦労したのでは?と思うが、撮影までには完成させてきていた。

 

当時の5人の雰囲気について

こんなに感じのいい人達が5人も集まっていて、あんなに仲が良いのは観たことがなかった。

監督の世代では、同じ年代の人で集まってその人達だけで楽しそうにしている事はない。

同じ趣味や話題を持つ人がその事で話し合うことはあっても、ちょっとの空き時間を何でもない遊びや話でずっと楽しそうに盛り上がっている。そんな姿が新鮮だった。

今の30代後半~40代前半の人達から柔らかい雰囲気を持つ様に感じる。

この柔らかい雰囲気は、初めて5人のライブを観た横浜アリーナでも感じた。

ナチュラルライティング。

アイドルだけど、オンとオフの切り替えが激しいわけではない。境界線が薄い。ない。

人工の光が当たる中で、本人達が持つソフトな輝きを見せる。

そんな姿が新鮮だった。

だから、そんな5人を映画として残したかった。

 

何でもないシーンで監督が笑ってしまうほど撮影が楽しかった。

いつも楽しい。

二宮くんの演技は時に凄いときがある。さすがクリントが選んだ俳優。

 

 

今の5人について

嵐のメンバーは変わらない。変わった印象はないけどどこか成長している。

黄色い涙の後も、J Stormのトイレで櫻井くんに声をかけられたり、撮影所で潤くんに会ったり、山田監督作品の撮影中の二宮くんに会ったり、相葉くんとデビクロくんを撮ったり…

嵐も映画業界に関連しているため、撮影所などで会うことはある。

 

相葉くんの和田家の男たちについて。

監督ご自身は今撮影が忙しくて観られていないけど、奥様が大絶賛していた。

でも、奥様から話を聞く限り、とても相葉くんに会っている役。

テーマも役柄も相葉くんに絶対に向いている。

録画を確認するのが楽しみ。

5人それぞれ、次に撮りたいなと思う役やテーマが漠然とある。

監督が撮りたい相葉くんと、今の和田優くんは似ている。

 

最後に、嵐のLIVEの映画を観た方ー?

10回以上観た方ー??

と聴いてくださいました。

さかえやの岡持を持った監督、かわいかった…

 

最後に

黄色い涙」は大変だったけど、楽しかった。

それが映画の中に残っていると思う。

今までJ Stormと権利関係の都合で、外部での上映ができていなかった。

しかし、一昨年京都で上映があったり、先日まで東京の目黒で上映されていたり、WOWOWの放送があったり…

これからもっと劇場で観られる機会が増えれば…ということで、

今まで観ていなかった方にも薦めて頂きたいということでした。

 

 

わたし自身、当時はグローブ座でしか観た記憶しかないので、たぶん映画館で観るのは初めてでした。

当時大きなスクリーンで観たときには理解しきれなかった部分。

円盤を自宅で再生するときには確認できない細かな部分を体感することができた貴重な機会でした。

また映画館で観たいな…

 

映画は映画館で観て初めて完成する。

”Record of memories"にも言えることだと思うけど、それを実感した素敵な機会でした。

やっぱり瞳とその奥の光が好きだ。

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